一夜城の石垣!ポライズンのロケ日記!
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こんにちは。
ビジネスシーンで使う動画制作・映像制作&動画広告運用のポライズン東京のディレクター 山口です。
3月のある日、とある映像コンテンツ制作のために、神奈川県小田原市にある石垣山一夜城公園にロケに行ってきました。
ところで、「一夜城(いちやじょう)」って聞いたことありますか!?
戦国時代、天下取りを目指していた豊臣秀吉が関東を支配していた北条氏を攻め滅ぼすために、「一夜にして建てたように見せかけた」と言われる伝説の城です。
「一夜にして建てたように見せかけた」から「一夜城」と言われています。
…で、ワタクシこの度、初めて一夜城に行きました。
何に興奮したかって、1590年の戦国時代当時の石垣が現存していることです。
もちろん風化してだいぶ崩れてはいましたが、「野面積み」という当時の積み方がそのまま見られることに興奮しました。
ワタクシ、ディレクター山口、実はお城フリークなんです。
中でも石垣が大好きなんです。
なので、仕事とは言え、一夜城に行けたことに感謝しております。
そして、一夜城に残る野面積みの一部がコチラです↓↓↓(だいぶ風化して崩れていますが…)。
江戸時代以降に見られる、ピシッと均整が取れた石垣とは違う味わいがあります。
色々な城の石垣を見比べてみると、時代や地域によって、石の積み方が違うのです。
戦国時代までは、野面積みという積み方が広く一般的だった…と、司馬遼太郎さんの書籍で読みました。
野面積みはこうやってみると野生的というか、雑な積み方、と言えるのかもしれません。
歴史好きの人にはお馴染みの壮大なストーリーですが、ご存知ない方のために、石垣山一夜城の紹介を以下に引用しておきます(小田原市ホームページより)。
<石垣山一夜城>
石垣山は、本来「笠懸山」と呼ばれていましたが、天正18年(1590)豊臣秀吉が小田原北条氏を水陸15万の大群を率いて包囲し、その本陣として総石垣の城を築いたことから「石垣山」と呼ばれるようになりました。
この城が、世に石垣山一夜城または太閤一夜城と呼ばれるのは、秀吉が築城にあたり、山頂の林の中に塀や櫓の骨組みを造り、白紙を張って白壁のように見せかけ、一夜のうちに周囲の樹木を伐採し、それを見た小田原城中の将兵が驚き士気を失ったためと言われています。しかし、実際にはのべ4万人が動員され、天正18年4月から6月まで約80日間が費やされました。
秀吉は、この城に淀君ら側室や千利休、能役者を呼び茶会を開いたり、天皇の勅使を迎えたりしました。
この城は、関東で最初に造られた総石垣の城で、石積みは近江の穴太衆による野面積みといい、長期戦に備えた本格的な総構えであったといわれ、度重なる大地震にも耐え、今日まで当時の面影が大変よく残されています。
この地は国立公園区域及び国指定史跡に指定されています。
で、以下が本丸のあった場所のようです。
で、本丸の中。
この写真の右手に、あたかも一夜にして作り上げられたと見せかけた天守閣があったようです。
豊臣秀吉の小田原攻め。
以下の写真のように、そうそうたる顔ぶれの戦国武将たちが、こんな配置で北条氏の小田原城を包囲して追い込んでいったらしいです。
考えただけでも恐ろしく悍ましい調略ですね(汗)。
天守閣あった場所からは、こんな風景が広がっていました。
遠くの方に、小田原城もバッチリ見えました。
小田原城から前日にはなかったはずの一夜城が見えた時は、めちゃくちゃ驚いたでしょうね。
ということで、今回の小田原・一夜城のロケ撮影は色々な意味で、個人的に興奮しました。
野面積みはカッコいいのです。
城や石垣を特集するテレビ番組やりたいです。
城と石垣のお仕事ください!張り切って頑張ります!
以上、ポライズンのロケ日記「一夜城の石垣編」でした。